珍奶茶唱片 -Tapioca Milk Records-

お隣の国、台湾のおすすめ音楽を紹介しています♪流行ど真ん中から、ちょっと変わった音楽まで。たまに歌詞の翻訳なども。

タピオカこぼれ話 その2♪地方在住、高卒ニートは台湾掲示板で熱烈歓迎を受けた

こんばんは♪Tapioca Milk Recordsです(*^^*)

  

今回は、10年前にさかのぼって、私が「台湾」という国に初めて出会ったときのことをお伝えします。

(やっぱり、自分の話は、ちょっとお恥ずかしいですね。)

一応連載になっていまして、前回の記事はコチラになっています♪

guguco.hatenablog.com

 

前回までのあらすじ。

18歳にして大病を乗り越え、何とか命を取り戻しはしたものの日々の生活にドラマチックな展開なんて待ってるはずもなく、無事ニートになった私は暇を持て余していた。 

 

タピオカこぼれ話 その2♪地方在住、高卒ニートは台湾掲示板で熱烈歓迎を受けた

「漢字が多すぎてよくわからないけど、この人たちは日本の文化が好きらしい。」

 

と気づいたのは、モニターに映る背景が真っ暗な画面、見たこともない漢字がたくさん並んでいる。どことなくアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出しているように見えた。

そこには確かに、これまで知らなかった世界、「台湾」があった。

 

(台湾の寧夏夜市にて)

 

少し話は戻るが、18歳の春、とある地方の一軒家で私は暇を最高に持て余していた。

高校を卒業し、進路を決めた友人たちはそれぞれの生活を歩んでいる。

私は進学や就職に耐えうる体力も無く、しかも抗がん剤の影響で頭髪すらまともに無かった。

もう少し体力がつき、髪の毛がショートヘアくらいまで伸びたら、父がアルバイト先を探してくれるという。

それなら迷うことはない。「世間的に見ても、今は生きているだけで許される期間だろう」と割り切り、ニート生活にとにかく楽しんでいた。

 

と言っても家の周りに娯楽らしい娯楽もなく、

もともとPC遊びが好きだった私がインターネットを使った遊びにのめりこむのは無理もない話であった。

 

そして、ひょんなことからとあるオンラインゲームで、国別で成績を競っているものを見つけた。

なんとか他国を出し抜こうと組織的にそれぞれの戦略でゲームを楽しんでいる。

 

最後まで詰める日本、途中で飽きちゃうヨーロッパ。時差もあり、最後まで気が抜けない。

 

そのプレイヤーの多い国の一つに「台湾」があり、PTTという大型掲示板で戦略が練られている、という話を聞き、単純に興味を持った。

 

(PTTについては、Wikipediaをご参照くださいませ♪)

PTT (台湾) - Wikipedia

 

PTTの閲覧にはソフトウェアが必要で、設定もやや手間がかかるようだ。

それでも。 

 

「他国がどんな戦略を練っているか把握し、出し抜きたい。

 台湾では漢字が使われているのだから、わからないことはないだろう。」

 

今思えばかなり無謀なのだが、私はどうにかPTT閲覧のソフトウェアをダウンロードし、ユーザー登録を済ませた。

 

そこで目に飛び込んできたのは

見たことのない漢字、背景が真っ暗の画面、基本的に白文字で明朝体。

正直に言うと、怖くて一回そっ閉じした。いや、二回くらいそっ閉じしたかもしれない。

 

気を取り直してもう一度掲示板を開き、操作に悪戦苦闘しながらも

色々なトピックスを覗いてみると

一つの事実がわかった。

 

ここで冒頭の描写に戻るが、

PTTのユーザーたち、明らかに日本のオタク文化に詳しい。

日本のそれより画数が多い漢字での書き込みの合間に、

当時のネットスラングである「キター!」が顔文字付きで書き込みしてあったり

創世のアクエリオンの歌詞が日本語で書き込みしてあったりなど、とにかく枚挙にいとまがない。

 

しかし、どうして?

 

言い方は悪いが、単純に「台湾人」という分類に興味を持った。

「私はこの人たちと話してみたい。でも、中国語わかんないから、英語で書こう。通じると思う。怖いが、掲示板で身元が割れることもないだろうし、身元が割れたところで私はニートで失うものはない。なんとかなる。」

 

”Hello,I'm Japanese girl.”

から始まる中学生英語のメッセージにたくさんのレスをつけてもらえた。

エキサイト翻訳で翻訳しながら解読していったところ、

それは、本当に日本人か?って疑うものも多かったのだけど、

基本的には好意的なものが多かったことだけは覚えている。

  

後から調べたところ

「台湾では日本文化に親しみを持ってくれている人もも多く、インターネットではオタク文化も流行っている」ということが発覚した。

 

このようにして、18歳の春、私は自宅にいながら、「台湾」に出会ったのだった。

 

(続きます)

 

guguco.hatenablog.com