タピオカこぼれ話 その5♪ 「ブログを書くことをオススメします」と女医さんは言った

タピオカがこぼれまくりです!

 

今回は、タピオカこぼれ話の続きをお届けいたします♪

 

※タピオカこぼれ話とは?

Tapioca Milk Recordsの筆者がどうして台湾音楽を好きになったのか。

そして、なぜブログを設立してまで台湾音楽の紹介をしようと思ったのか?というキッカケや動機、ここに至るまでの歴史をシェアするシリーズです。

 

前回の記事はコチラ♪

www.tapiocamilkrecords.jp

 

前回までのあらすじ

二十代も半ばに差し掛かった頃、無職になった元・上場企業のOLはようやく重い腰を上げ、パスポートを取得し台湾に行った。

近い国だからこそ、日本との文化の違いが際立ち、すべてが新鮮で面白い。

そして、そんな文化から生まれたとある映画のロケ地を訪れ大興奮し帰国した。

 

今からお伝えするのは、その約一年後の出来事である。

 

タピオカこぼれ話 その5♪ 「ブログを書くことをオススメします」と女医さんは言った

 

はじめての台湾旅行から約一年後、次の職場で大活躍しているはずの私は実家にいた。

またややこしい病気に罹ったのだった。
病名はバセドウ病で、薬はもう使えずあとは手術しかない。

今回の手術は首周りを切開して甲状腺を取り除くものだ。

執刀医の先生は腕が良さそうだし、信頼できるし、それに血液がんの時に一回手術はやったから、たぶん大丈夫だと思う。

 

でも…手術って、やっぱり、そうそう慣れるものじゃないしなんかコワイ。

 

(ご興味のある方は、当ブログのバセドウ病シリーズをご参照頂きたく…!汗)

 

血液がんで腫瘍を取って以来、10年ぶり2回目の手術まで残り約一週間というある日、私は出口のない考え事をしていた。

 

私の人生に起きた主要なイベントって何だったんだろう。

血液癌からの胃潰瘍、そして今度はバセドウ病…本当にツイてなさすぎるし、運が悪すぎ。

 

なんでいつも私ばっかり。

 

「あぁ、20代も半ばだけど、ついに何者にもなれなかったな」
「こんなに頑張っているのに、どうしていつも病気になるんだろう」
「私はこの人生で何がしたかったんだっけ。」

「もう病気にはなりたくない。でも、どうしたらいいかわからない。」

 

療養中暇だと、どうしてもそんなことを考えてしまうのだ。

そんな考え事にも嫌気がさしてきて、何かと暇潰しをして気を紛らわせていた。

暇つぶしとはつまり、インターネットだ。

 

10代のころからインターネット遊びが大好きだった。

台湾と初めて出会ったのもインターネットという場所があってこそだ。

 

そして今日現在においては、テキストサイト文化に代わりブログ文化が広まっている。

広大な情報の海にたくさんの読み物があって、さまざまな立場の人が自由に情報を発信している。

 

その中の一つで、私が特に大好きなブログがあった。

現役の女医さん、とも子先生により書かれているものだ。

 

女医とも子の診察室

 

「女医とも子の診察室」は主に女性向けの内容で、

思考のクセや思い込みを取り除き、楽になる生き方や考え方をインストールさせてくれるような内容の記事が多い。

とも子先生のブログを知った当時、

私はまずは素直に「あぁ、こういう風に考えることができたら腑に落ちて幸せだろうなぁ~」と思った。

 

そして、先生は「女医とも子の知的な野性生活」というメルマガも配信していた。(現在は、配信停止中?)

私は「健康」とか「心のありかた」というテーマももちろんそうだけど、文章自体にとても惹かれるものがあって、先生の書いたものをもっと読みたいと思ったので、メルマガに登録した。

 

メルマガはブログよりもさらに深く掘り下げられた内容で、

心が健康で穏やかで幸せになる生き方が熱意と熱量を込めて書かれていた。

それは、当時の私にこれまでの生き方を振り返らせるのに十分なものだった。

 

そして、とも子先生はメルマガの結びに、「お気軽に返信をください」と書いていた。

返信を歓迎しているだけで、それにまた先生が返信を下さるかどうかはわからないらしい。

だけど、歓迎してくれるからには、思いついたことを書いてみよう。

 

気が付くと私は心のまま、素直に返信を書いていた。

実は高校のころ留学したかったこと、家庭の事情でできなかったこと、海外へのあこがれをまだ持っていること。

会社員になって何年も経つし、病気しがちなせいでお金はそんなにないけどまた留学したいと思ったことを包み隠さず書いた。

すると、まもなく、先生はこのように返事をくれた。

 

「誤解を恐れずに言いますが、○○さんは頭がいいです。
 書く文章をみれば、わかります。
 
 イヤでなければ、ブログを書いてみることを
 おすすめします。」

 

意外だと思った。

私の心の中をぶちまけただけなのに、頭がいい?なんのこっちゃ?

頭の中ははてなマークでいっぱいだ。

 

でも、私は一つ決めていることがある。

「成功者の意見やアドバイスはできるかぎり取り入れる」ということだ。

 

とも子先生は、医学部受験という難関を突破し社会に貢献している社会的成功者で、しかも病院でのお仕事を通してたくさんの人を見ている方だ。

さらにメルマガの文章を読む限り人柄も素敵だ。

実力のある方がそのように言ってくれるということは、私はひょっとしたら頭が良い可能性がある。

どうしてそう思ってくれたかはわからないけど、頭が良いと言ってもらえたのは嬉しい。

 

しかも、そういえば数年前に開設して放置状態だったブログがあったっけ。せっかくだから何か書いてみようかな。

 

返信を頂いたときは本当に入院まで時間がなくて、結局退院後になってしまったのだけど、私は病状が落ち着いてからブログをまた書き始めた。

 

最初は書くべきことが思いつかなくて、まずは自分の中で一番ホットな話題であるバセドウ病のことを書いてみた。


バセドウ病になったときのことや症状や、周辺情報をまとめて、キリのいいところで「公開する」ボタンを押すと、あっという間に三時間ほど経っていた。

 

飲食を忘れていた。
でも、不思議と、やり切った感があった。

 

この作業を何回か繰り返し、バセドウ病シリーズを4回に分けて書いた。

このシリーズはいつからか、大変ありがたいことに「バセドウ病 手術 ブログ」で検索すると、検索上位に表示される記事となった。

バセドウ病シリーズは決して有名になりたいとか、同情を引きたいとか、そういう気持ちで書いたのではない。

ただ「バセドウ病に罹って、手術することになっちゃって、治療予定が立たずに光が見えない人やその家族のためになるかもしれない」と思った。

そして、検索上位になるということは、人の役に立つ可能性が高いということだ。

人の役に立つのはとても良いことだから、書いて良かったと思うシリーズの一つである。

 

次に何を書こうかな?

病気のことは大体書いたから、大好きなことを書こう。


という思いつきから生まれたのが、今でも当ブログでたくさんの方にお読みいただいているオススメ台湾音楽10選だ。

この記事も相当の集中力で、あっという間に書ききってしまった。

 

それから私はあらゆることを書いた。
地元で好きなお店のことを書き、香港の転職に失敗した話を書き、中国語の勉強の話やオンライン英会話スクールの話も書いた。

志望動機クリエイターという謎の肩書を作って、就職活動向けの志望動機の書き方の解説記事も書いた。

noteには一番辛かった血液癌時代の有料記事を書いた。
人生で印象に残ったことは何でも書いた。

 

とも子先生がブログを書くように勧めてくれなければ、今の私はない。

私はこうやって文章を書くことがとても好きで、脳のつくりと相性の良いタイプの作業であることに気づけた。

ブログを書くようにならなければ、どんな生活を送っていたか、どんな休暇を過ごしていたか、本当にわからないし想像もつかない。

 

今日のTapioca Milk Recordsの原型は、インターネットで出会えた女医さんの一言から、少しずつ形になっていったのだった。

 

次回、「タピオカこぼれ話 その6♪ あなたは、海外のインディーズバンドを追いかけたことがありますか?」に続きます。

www.tapiocamilkrecords.jp

 

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